2001年のインタビューに見る、メル・ブルックスの笑いと人生


以下の記事は、This story appears in the August 20, 2001 print edition of U.S. News & World Report.
要約翻訳による間違い等、文責はnegiにあります。この文章を読むと、メル・ブルックスのとことん常識を覆して人間の本質に迫ろうとする根性、そして、人を傷つけることへの繊細さが感じられます。
原文はこちらです。誤訳や解釈の間違い等、文責はnegiにあります。


本文はこちらメル・ブルックスや周辺の人々の発言を要約してみます。


メル・ブルックスは言う。

箱(演題)の上に立って独裁者と議論を交わしても絶対勝てない。連中は手練手管にたけているから、言い負かして自分の側にひっぱりこむ。しかし、奴らを笑いものにしてしまえば、笑い飛ばしてしまえば、連中は勝てない。笑い飛ばせば、どんなに連中がいかれてるかを世界に見せつけることができるんだ。

『春の日のヒトラー』の冒頭を見たオープニングナイトの観客が怒って席を立つとき、「最低! この悪趣味についてお話ししましょう」と言いながら去ってゆく。「お話しする」だけなのである。これこそ、メル・ブルックスが一番描きたかった人々である。

世の中には常に聖人ぶりたがる人たちがいるものだ。たとえば『わたしはこんなに貧乏なユダヤ人を気にかけてるのよ、あなたは気にかけてないでしょ』などとね。

収容所をこの目で見たわけではない。でも難民の大行列は見た。みんな飢えていた。おぞましいことだった

メル・ブルックスは考えた。本当の“チャリティ”とは何なのか。“善意”とは何なのか。

怒りが募れば募るほど、メル・ブルックスは面白いことを考えられる。(カール・ライナー/映画監督、脚本家)

彼は皆が思いつきもしない突拍子もないことを言う。しかもそれがまったくの事実なんだ。ブルックスの成功は、大衆文化が“おきれいごと”を並べていることに人々が大きな不満を持っていたことを証明した。(フランク・リッチ/ニューヨークタイムズの批評家)

しかし、ブルックスは、股間を蹴り上げるようなえげつないギャグだけをエスカレートさせようとしているのではない。

時と場合はわきまえているつもりだ。(メル・ブルックス

黒人保安官を主人公にした『ブレージング・サドル』の制作中、「この状況で“Nの言葉”(黒人を蔑視した呼び方)を使って大丈夫か? 度が過ぎていたら教えてくれ」と、ブルックスは共同執筆者である黒人のライター、リチャード・プライアーに全幅の信頼を寄せていた。

同じく、『プロデューサーズ』執筆中、ブルックスは「Broadway Producers」に掲載されるゲイの作家仲間の記事を熟読した。ゲイの仕草として手首をクネッ、とさせるギャグなどが、笑える範疇であり、決してゲイの人々を傷つけることがないように、と意識して。

ブルックスはコメディによって、人間のおぞましい部分をあからさまにしつつ、それによって傷つく人がいないように心を配った。

タブーなんてものはない。

ブルックスが(2001年の時点で)最も爆笑をとったのは、1950代にヒットした"Your Show of Shows"の1シーンだという。ある男が父親の遺灰をイーストリバーに流してやろうとするが、風向きのために丸ごとかぶってしまう、というシーンだ。

お父さんはどこにいるの?と聞かれたら「79丁目のランドクリーナー」と答えるしかない

(negi注・遺灰を流そうとしてかぶってしまう、というシーンは『逆転人生』の中でも使われている。また、直接関係あるかどうかわからないが『デスパレートな妻たち』のワンシーンで、イーディーがスーザンにフーバーさんの遺灰をぶっかけてしまい、「フーバーさんを洗い流さなきゃ」というシーンがあったが、もしかするとこのシーンにインスパイアされた可能性もある。)


メル・ブルックス