たった一年、されど三十一年


ロジャー・バートという役者を知ってから、約一年になる。まだ一年にしかならないのか、と、自分でびっくりするほど、この一年は濃い一年だった。


ロジャー・バートが一年なのに対して、メル・ブルックスは三十年越しのファンである。


当時、メル・ブルックスといえば必ずウディ・アレンの名前が挙がった。


メル・ブルックスウディ・アレン、どちらが好きか」


サブカル系映画ファンが集まると、踏み絵のようにどちらかを選ばねばならない空気があった。『サイレント・ムービー』『ヤング・フランケンシュタイン』『ブレージング・サドルス』の三本は何度見たかわからないほど好きなので当然メル派なのだけど「どちらが好きか」と言われる位置に二人がいたのは、本当に短い期間だった。さかのぼれば、同時期に放送作家をしていたころからの長い助走期間があるのだが、映画監督として“かぶった”のは十年に満たないのではないだろうか。ウディ・アレンの『誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて』と『ボギー!俺も男だ』は、1970年代前半の作品。『ヤング・フランケンシュタイン』と『ブレージング・サドルス』も1974年の作品。1970年代後半から、ウディ・アレンはさらに作家性を強くうちだす作品を撮り続け、メル・ブルックスは大きな商売になるバカ映画を目指した(と勝手に思っている)。


そして、大きな商売になるバカ映画、は、いまひとつうまくいかなかった、ような気がする。


1974年、たった一年の間に、映画史上に残る傑作コメディ『ヤング・フランケンシュタイン』と、おならにセックスに人種差別とタブー満載のオバカムービーでありながら、メル・ブルックス、後にも先にも唯一$100Mを超す大ヒットとなった『ブレージング・サドル』、この二本をヒットさせてしまった破竹の勢いで、1976年、ポール・ニューマンバート・レイノルズアン・バンクロフト、ジェイムズ・カーン、ライザ・ミネリなどの豪華スターを使ってサイレントムービーを撮り、つぶれかけた映画会社を立て直して大成功! という話を、そのままサイレントムービーで撮ってしまった。『サイレント・ムービー』。


個人的に、メル・ブルックスの作品群で1、2を争うほど大好きな映画であり、もちろん本国では大ヒットした。


その後、『新サイコ』、『珍説・世界史』、『スペース・ボール』などオバカ路線は変わらずに続く。もちろんどれもヒットして立派に商売になったが「大きな商売」にはならなかった。たとえば、『スターウォーズ』や『インディジョーンズ』のような。広い層に人気はあるが、確実にマニア受け作品が増えていった。一方で『エレファント・マン』『ザ・フライ』などの製作にも携わる。


ビデオの時代になり、過去の遺産で一財産もふた財産も築けるし、子どもから大人まで、アメリカ人でメル・ブルックスを知らない人はいないし、いい仕事をしているし、十分に素晴らしい映画人生なのだが、どうも違う、と思えてならなかった。リアルタイムに、マニア以外にもウケるコメディで大金を稼がなくてはメル・ブルックスではない、と。別段比べる必要もないのだが、ウディ・アレンは作家性の強い作品で、しかもヒットをたたき出し続けた。


メル・ブルックスは報われない人だなあ……と、20年ほど、遠い極東の国から眺めていた。いしいひさいちの“最底人”が地の底で「あ、あほー」と叫ぶより意味のないつぶやきであった。つくづく、有名人は気の毒である。自分の人生に対して、どこで誰にどんな感想を抱かれても文句が言えない。


2001年。メル・ブルックスが『プロデューサーズ』をミュージカル化し、ブロードウェイで空前の大ヒットになっている、というニュースを見てびっくりした。日本で芝居に関わって来たので、芝居は金にならないという固定観念があったが、どうもブロードウェイで一発当てると相当な金になるらしい。


メル・ブルックス、報われたかも、と思った。トニー賞総なめより、メル・ブルックスが世界的に再注目され、商売として成功するであろうことが嬉しかった。が、アメリカまで芝居を見に行きます、などと言える状況ではなく、行けるとも思わなかった。


2006年4月。そのミュージカルが映画化されて日本にやってきた。アメリカ公開時から滑った、ということは知っていた。それでも久々のメル・ブルックス映画なので楽しみに見に行った。


楽しかった!! これだよ、これ!!


連れによると、久しく鬱に近い精神状態だったのに、映画館を出るときは性格が変わったように賑やかになっていたらしい。


もちろんオリジナルの映画は相当昔名画座で見ているし好きだったが、コンパクトで、しかも1960年代という時代を色濃く背負ったサーカズム満載の作品であり、わたしが理想とする「大きな商売になるバカ映画」ではなかった。それはそうだろう。メル・ブルックスの監督デビュー作であり、そのとき彼は生来の商売っ気を持ち合わせつつも、気鋭の映画作家だったのだ。


ミュージカル版、後にDVDを輸入して何度も見るうちに不満が出てきたが、映画館で見た最初の1回は本当に舞い上がるほど楽しかった。映画から力をもらう、とよく言うけれど、こんなに大きなインパクトを受けた経験はほとんどない。


そしてその大半が、初見の、しかも脇役の、ロジャー・バートという役者からもたらされたものだった。その瞬間は、名前も知らなかったけれど。


映画全体が楽しかったし、ほかの役者もみんなよかった。ただ、なぜかカルメンという面白い役を演じているこの役者が、見ている最中から気になって仕方ない。奇妙な役である。あきらかに不自然なキャラクターである。なのに、リアル。人間としてちゃんと存在している。


まったく知らない役者だけど、もしかして、メル・ブルックス映画にいてほしいのに久しく見いだせなかったタイプの人を見つけたかも、と思った瞬間にゾクッとした。


見終わって、プログラムを買うのも忘れるほど浮かれながら帰り、すぐパソコンのスイッチを入れて検索した。ロジャー・バートという名前であること、ベテランのミュージカル俳優で2001年にカルメンのオリジナルキャストだったこと、レオ・ブルーム役で何度かこの作品に戻っていることを知って、やっぱり、とわけのわからない満足感に浸り、過去の作品のサントラやビデオで演技を確認した。


ベースはしっかりとしたオーソドックスな芝居。歌がめちゃめちゃうまい。瞬間的に気配を変えるだけの小さな演技から全身を使った激しい主張まで、感情表現と演技の振り幅が大きく、愛嬌があり、一度聞いたら忘れられない響きの声を持ち、独特の癖があり、そして、「どこか変」。


ますます、見つけたかも、と思った。


何を見つけたかと言えば、妄想と言われて当然なのだが「ミュージカルでフランケンシュタイン博士をやるならこの人だ」と。


メル・ブルックスが『プロデューサーズ』に続いて『ヤング・フランケンシュタイン』のミュージカル化に取り組んでいると知って、正直、めまいがした。完成度の高い映画だ。ちゃんと壊せるのだろうか。大博打だ。ちゃんと壊して再構築するのだとしたら、歌もダンスも山盛り入れ込むのだとしたら、この、カルメンを演じた役者の博士が見たいなあ、と思ったのだ。もちろん『プロデューサーズ』のレオも見たかった。見たいけれど、この時点では、わたしの中で『プロデューサーズ』は映画のキャストで完結していた。後に夢が叶って見ることができたレオは宝物だけど、それより先に思い浮かんだのが博士だった。


ヤング・フランケンシュタイン』は、正確にはメル・ブルックスジーン・ワイルダーの映画、である。原作はジーン・ワイルダー。よくぞこんなくだらない話を思いつくものだ。作品を作っていく過程における両者のやりとりは、DVDの特典やインターネットの過去記事にたくさん見つけることができる。どこまで本当でどこからフィクションなのかわからないが、どの話も面白い。とにかく、コメディの天才が正面切ってぶつかり合いながら作ったことはまちがいない。


ジーン・ワイルダーは常に目に入る好きな役者なのだが、作品の途中で「もういいかも」と辟易することが多い。素晴らしく印象に残る作品ばかりだが、いくつかの作品において、強烈なクリエイターでもある彼は、役者としての自分を操作するのに成功しているとは言いがたい。『シャーロック・ホームズ おかしな弟の大冒険』も『チャーリーとチョコレート工場』(1971年版)もとても面白いのだが、彼自身は、やや、やりすぎ感が漂って、大きな目と異常性ばかりが記憶に残る。


しかし『ヤング・フランケンシュタイン』『ブレージング・サドル』『プロデューサーズ』のジーン・ワイルダーは素晴らしい。こちらも自己主張の強いメル・ブルックスとぶつかりながら、お互い実にいい場所を見つけて相乗効果を生んでいる。


特にフランケンシュタイン博士は、ジーンの異常性を極力抑えたメル・ブルックスの演出と、抑圧から解き放たれたときのジーンの弾け方が、尋常ではない。


たたずまいが端正で慎ましく、しかし持っているポテンシャルは一番異常。そんな博士を、ロジャー・バートなら、正調のメル・ブルックス・ワールドとして演じられるに違いない。しかもミュージカルだ。彼が歌って踊って演じてくれたらいいなあ、と単純にそう思った。ブロードウェイの歴史も現状も、チケットを売るには何が必要かという商売としての側面も何も知らず、ただ、そう思っただけなのだ。そんなことを、よそさまの掲示板にのほほんと書き込んだりした。


その後、2001年にメル・ブルックスが「ロジャー・バートは、もしヤング・フランケンシュタインをミュージカルにするなら完璧なアイゴールだ」と語っている記事を見つけて「そっかー、こんなに前からアイゴールでイメージキャストされてるんだ」と、半分嬉しくて、半分がっかりした。


言われてみれば、カルメン→アイゴールは、誰でも思い浮かぶ当たり前の図式だ。どちらも作品を代表する「正面切って変」の代表格であり、マスコットキャラでもある。ロジャー・バートが過去に演じた、ハーレクィン、スヌーピーに、一直線につながる系譜じゃないか。なるほど、と納得した。こんなにメル・ブルックスが好きなのに、最初に「この人のアイゴールが見たい」とカケラも想像しなかった自分がバカだなあ、と反省もした。


それからずっと、アイゴールだと思いこんで、実現するのを楽しみにしていた。もちろん、アイゴールは大好きなキャラクターだから。ただ、ロジャー・バートが、確実に博士のスタンバイ、およびリプレイスメントとして計算に入っているであろうことは想像していた。


1月にブロードウェイでロジャー・バートのレオ・ブルームを見ることができて、歌と演技はもちろん、ダンサーではないけれどダンスのレベルと表現力の高さ、並外れた運動神経、瞬間的な判断力、いろいろな意味での掌握能力、すべてが予想をはるかに超えていることに感動。「アイゴールもいいけど、やっぱりこの人の博士が見たかったなあ」と、すでに過去形の形でしみじみ思った。


しかし、2月が過ぎ、3月に入っても、アイゴールのアナウンスも、博士のアナウンスも出ない。裏でどんな動きがあったのかは知る由もない。が、もしや、と思った。こうなると、最初から彼を持ってくるかもしれない、と。そしてそれは、現実になった。


メル・ブルックスロジャー・バート。単純にミュージカルコメディを作る作家と演じる役者としては、互いに必要十分の相性。しかし、メル・ブルックスメル・ブルックスたらしめている価値観である「大きな商売」は、ロジャー・バートという役者にとって未踏の価値観だ。少なくとも、今までのロジャー・バートと「大きな商売」という言葉には、まったく接点がない。『ヤング・フランケンシュタイン』は、どちらにとっても大博打になる。そしてわたしは、芝居好きであるのと同時に、博打打ちが大好きだ。博打が好きなのではない。大きな博打を打つ、プロの博打打ちを見るのが好きなのだ。


ヤング・フランケンシュタイン』の前に、6月8日、ホラー映画『ホステル2』が全米で公開される。『デスパレートな妻たち』がなかったら、このキャスティングもなかっただろう。


ロジャー・バートは『デスパレートな妻たち』のストーカー薬剤師、ジョージ・ウィリアムズ役で知名度が爆発的にあがった。その代わり、それ以前の彼の持ち味であり、売りであった「かわいらしさ」ではなく「不気味さ、気持ち悪さ、怖さ」がフィーチャーされた知名度だ。


あまりに極端で現実味のないキャラクター、ジョージ・ウィリアムズを演じるにあたり、ロジャー・バートは「怒り」という感情をジョージのベースに置いたという。心の深いところで、何か、誰かに対する言いようのない激しい怒りを抱えた、一見人当たりのいい、さえない男。「怒りのあまり愛してしまう」「愛しすぎるあまり怒ってしまう」というアンビバレンツは、ステージドアで彼が20年近く見てきた“ファン”の中にも時折見られた、とも言っている。「かわいさあまって憎さ百倍」という言葉があるが、それに近い分析かもしれない。役者としての直感と経験から織り込んだ「怒り」は確実にジョージをリアルにした。そして、ロジャー・バートの外見まで変えた。


昨年8月、初めて『デスパレートな妻たち』を見たときは愕然とした。カルメンや『ステップフォードワイフ』の建築家とまったく違うのは役者なのだから当たり前だが、この人は、役に共鳴しすぎていないだろうか、とちょっと不安になるほどだった。その共鳴は、共苦だ。同情のように距離を置いて上から見下ろすのではなく、苦しみや痛みを役に寄り添って引き受けてしまっている。当然、怒りも抱え込んでいる。そういうタイプの役者さんはいるし、引き受けてもかまわないのだが、この役は強烈すぎる。しかも超人気テレビドラマである。数千万の人に見られるのだ。「見られている」感覚は、舞台とは桁違い。舞台ではベテランだが、テレビというメディアでこれほど「見られ」「憎まれ」「嫌われ」る経験は、ロジャー・バートにとって初めてだった。


「見られている」感覚は、役者にとって大切なセンスだ。いま、自分がどう見られているか、どう感じられているか、常に敏感に正確に察知して、しかもそれに惑わされず自分の芝居をする。至難の業である。その感覚に敏感な人ほど、初めてテレビで視線の集中砲火を浴びたとき、ショックを受ける、と聞く。いい意味でも悪い意味でも。


そんなことを考えつつ、役を離れた後、きちんとセパレートすることができたのだろうか、と、本当に大きなお世話ながら心配した。


その直後である。『ホステル2』の話が明らかになったのは。役者当人が切り離す切り離さない以前に、商売人がジョージを捨てさせてくれないのは当然だ。ロジャー・バートが演じるスチュアートは、ほとんどジョージそのままの性格設定らしい。(よく考えたらネタバレなので反転します)抑圧された衝動が鎖から解き放たれたとき、どんな恐ろしい結末が待っているか、を体現する役だそうだ。

残酷描写で定評のあるイーライ・ロス監督が、どこまで人間を描けたのか、ロジャー・バートという素材をどう扱ってくれたのか。見届けたい。


商売なのだから『ホステル2』は成功してほしい。クレジットは2番目。確実に代表作として名前の挙がる作品になる。


もう一本『ミッドナイト・ミート・トレイン』というホラーにも出演し、来年公開になる。この、ジョージの遺産は、いつまで受け取ることになるのだろうか。


ジョージの遺産は、全部使い切って空にしつつ、フランケンシュタイン博士を歌って踊らねばならない。アイゴールならジョージの遺産を引きずっていてもかまわないが、フランケンシュタイン博士は別の遺産をこれから引継ぐのだから。




ファンになって三十一年のメル・ブルックスと、一年のロジャー・バート


この一年、大好きな二人の周りで次から次へと起きることが、あまりに面白すぎた。ここからの一年は、どんなことを見せてもらえるのだろう。来年も「面白すぎる一年だった」と言えたらいいな。


"Young Frankenstein"、秋には絶対見に行くぞ、と書いておこう。心から信じて、書いたり言ったりしたことは、きっと叶うから。